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すまんがこれだけは言わせてくれ

 バスケットボールに限らずスポーツや社会においてミスを犯した者にバツや叱りを与えることは、世間一般での常識とされている。

 だが、私自身。叱られることもそうだが怒られたりするのは嫌いである。

それが自分でもミスを自覚していてもだ。ミスに気付いていないのであれば促す程度で十分相手にも伝わる。だが職のレベルが上がるにつれ、上のものは効率を優先するようになる。それがうまくいかないとどうしても然り口調になったり怒りをぶつけたりして周りからのイメージを損なったりする。

確かに次の日に謝ったり、そのことを忘れて切り替えて接する上司というものがいる。

そういう上司たちは案外割り切っているから嫌われたりはしない。総合的に評価して。

 だが、本当に心から、仲良くなったり心通わせたりした意図は部下の人たちは絶対に思わない。なぜならそれが、その割り切りこそが彼らに引っかかっているからだ。

「普段は優しいけどいざという時、ミスを犯したとき、彼らは僕を怒鳴る。」その事実が部下の行動の妨げになり、親睦を深めることはない。

もしかしたら仕事の事での協力要請等はあるかもしれない。だが仕事外、プライベートでは絶対に一緒にいたくないと思うのだ。

 その考えに至ったとき、僕は仕事と言うものがおっくうに感じるようになった。

例えアルバイトだとしても、億劫に感じる。

そういうとき、私は意外なところからヒントを得る。

もともと仕事をするなら上の立場になりたいと思っていた自分だが、四柱推命という生年月日でこれからの人生がわかるものによると実際に僕は人の上に立ちたいらしい。

よく当たる四柱推命の人に聞いたからおおむね間違いではないのだろう。自覚あるし。

だから僕は起業でもなんでも上の立場になって今の世の中の自分が視ている辛そうに仕事に向かったりしている人に自分の友人たちがなってほしくないから何かできることはないだろうかと考えた。いやまあ立ち上げてもないんだけどね。

 

 まあ起業したとして、上司だとして、彼らのミスをどう改善したらいいのかと考えてみた。まず僕は自分がされて嫌なことを彼らにしたくはない。だから自分の嫌いなしかり方。怒鳴ったり。文句。罰というものはしない。

 これは最近バスケットボールをしたあとに感じるのだが、いいチームっていうのは互いのミスを許したりカバーすることなのではと思う。

以前の自分は自分がいいプレーをしなきゃダメだとか。ちゃんとしたフォーメーションを作ったり、個々の役割分担の自覚などを考えていた。

 でもそうじゃない。確かにそれも大事だが、そんなこと言ったって彼ら個人個人何を思いバスケットボールを続けているのかそれぞれ違うのだ。

 だから最近思うのは、話し合うこと。それも最初は一対一でだ。普段の何気ない練習中とかが一番理想だと考える。「話し合いします!」とやってしまうと「話し合い」という枠にはめられて聞きたかった本当の答えが聞き出せないと思うのだ。事実私がそうであるように。

だから「話し合う」という意識の外で対話をするのだ。

結構表からは見えない部分で彼らの「こうしたい」という思いがある。

彼ら個人個人の「許容できる部分」「許容できない部分」「我慢できること」「やりたいこと」そういうものが見えてくる。

それが1チーム全体がわかれば、今度は上司である自分が考える。

そしてまた個人で話し合いだんだんと全体で話していく。これこそが素晴らしいチームだと思うのだ。

 これは、この考えはおそらく僕の大好きなNBAから学んだであろうことである。

今、NBAの考え方は大きく変わりつつある。この考え方は社会でもスポーツにおいてもましてやチームと言うグループにおいても必ず革命を起こす考え方だ。

 あ。もうタイピングが辛い。また今度な!

                                第二十三部 完